• 教養日本史
  • 戀闕
  • 平泉博士史論抄
  • 英訳 少年日本史
  • 英訳 少年日本史 第3分冊
  • 田中卓評論集1愛国心と戦後五十年
  • 田中卓評論集2平泉史学と皇国史観
  • 田中卓評論集3祖国再建(上)
  • 田中卓評論集4祖国再建(下)
教養日本史

目  次

一部 承 久
    承久中興の本義
二部 建 武
    建武の新政をはゞみしもの
    神皇正統記に關する覚書
三部 寳 暦
    近世尊皇運動の啓発者
四部 明 治
    平野國臣の立場
    眞木和泉守の立場
    志士の悲懐
    建武中興の精神と明治維新

▲ページの先頭へ

本書について

《推薦の言葉》 『戀闕』に貫かれた著者の史観

(水戸史学会会長)名越 時正 氏

 著者の史観は本書所収の「近世尊王運動の啓発者」の冒頭に、「歴史家は、過去のみを問題として現実の課題闡明の義務を閑却してはならない。」と記されたやうに、承久・建武の中興の本義を闡明すると共に、それを遮り妨げたものを深く追求し、明治維新の大業が、崇高至純の戀闕の誠により険難の一路を踏破して成つたことを明かにしつつ、今日当面する日本の歴史的現実的使命を妨害しようとする邪説俗論を徹底的に粉砕して居られる。

 しかも著者の文章は、論旨明快で忠実を究明しながら読者に新鮮な感動を与へ、また深刻な反省を促される痛烈な切磋の文である。たとへば、竹内式部先生を論じた終りに書かれた、次のやうな一節のごとくである。

「彼は先輩の諸説に恭順であつたが、しかしながら同門の先哲に随順するとの口実の下に、偉大な遺産の手近にあるものを切売りする安易な方法をとりはしなかつた。國體に対する感激と挺身護持の決意に燃えてゐたが故に、ともすれば所謂祖述のおちいりがちな、ひからびた形式主義に堕し、たくみに或はらくに講義だけになり、極論すれば学者は不用になり、口真似だけで十分だ、といふやうになる危険を完全に克服してゐた。」

 私は、著者が最初に発表された大作「平野国臣の立場」を「建武」で読んだとき、ここにその立場を知り、爾来五十余年、著者が何処におられやうとも、時代がどのやうに変らうとも、一貫して変わらぬ戀闕の至誠を仰望するのである。希はくば、読者は本書の表裏に示された憂国の熱情と、戀闕の至誠を感受されて、今日の世に発揚されんことを。

『戀闕』の復刊に際して

青々企画代表 田 中  卓

 本書は昭和十九年九月、朝倉書店より出版された。まさに戦時中、といふよりも戦争末期であり、私は同年同月、時を同じうして学徒出陣をした。そして翌年八月に敗戦。朝倉書店も戦災に罹り在庫の本書は悉く焼失した。従つて、初版千五百部とはいふものの、実際に本書を手にしたのは極く限られた人々であり、戦後の古書店目録でも、殆ど目にすることはない。

 しかし 本書にとっての真の不幸は、焼失や散逸にあるのではない。実はその内容が、戦後の風潮と相反し、流行を好む世人の嗜好と隔絶したことである。現に『戀闕』といふこの書名すら、読める人が少ないであらう。一般の漢和辞典にも、岩波の『広辞苑』にも、この熟語は出ない。流石に大修館の『大漢和辞典』には見えて、「宮闕をこひ慕ふ。君を忘れない喩。」とある。先哲の言葉で言へば「大君ガイトシフテナラヌ至誠惻怛(そくだつ)ノ心」である。本書は、建武中興と明治維新を中心に、この戀闕の志操をいだき、皇統の護持に身命を捧げた先哲志士の精神を闡明にした名著として、発刊当初、有志の間では競つて愛読された。しかし今は、その当時の事情を知る者も殆ど無い。

 昔は谷泰山先生、大勢順応の俗論を破棄して道義を貫徹した忠臣義士の伝を編輯し、朱子の「唯此の一念、炳然丹(へいぜいたん)の如し」の言葉から摘んで『炳丹録(へいたんろく)』と題されたが、その多くは険難の一路、悲劇の一生であり、「絶えて一箇の飽食安居する者なきなり。あヽ是れ今日滔滔(たうたう)の士の、聞くことを楽しむ所ならんや。」と嘆いて、遂に篋底に蔵せられた。本書の如きも、或いはその轍に倣ふべきかも知れない。しかし私は、皇国二千年の真の礎(いしずゑ)が、この戀闕の至情に存することを確信して、初版より五十三年を経た今日、本書の覆刊に踏切ることとした。

 尚、原文は正漢字でしかも難解な用語が尠なくないので、一部の漢字には私に振仮名をつけ、さらに括弧内の皇紀を西暦に改めて、読者の便に供した。

 そして巻末には、新しく著者の略年譜を添へ、特に著者と本書の解題を、水戸学の泰斗、名越時正先輩に懇請して執筆していただいた。


▲ページの先頭へ

著者紹介

鳥巣 通明 (とりす みちあき)
鳥巣通明画像
略 歴
明治44年1月13日 長崎市に生まれる
昭和6年3月 第五高等学校文科甲類を卒業
昭和10年3月 東京帝国大学文学部国史学科を卒業
昭和11年4月 大阪府立浪速高等学校教授
昭和16年4月 陸軍予科士官学校教授
昭和17年3月 國學院大学非常勤講師
昭和17年9月 東京帝国大学非常勤講師
昭和24年3月 活水女子専門学校教授
昭和25年4月 活水女子短期大学教授
昭和31年10月 文部省初等中等局視学官(12年半)
昭和44年4月 長崎県立女子短期大学長(6年間)
昭和56年5月 勲三等旭日中授賞を受く
平成3年3月17日逝去(享年80歳)

▲ページの先頭へ